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尖閣諸島 所有者 栗原家 [社会]



尖閣諸島 所有者 栗原家

日本の政府が20億5千万円で尖閣諸島を購入ことが地権者の栗原さんと合意したというはなしです。

栗原さんと日本政府はマル秘で面会。

尖閣諸島のひとつ、魚釣島、北小島、南小島の3つの島を日本が20億5千万円で買い取るこが合意したという話です。

日本政府は当初、3つ島の価値を「5億円程度」と発表していました。

ところが東京都の石原慎太郎さんが14億円超の寄付金を集めてしまったもんですから、

尖閣諸島の所有権が早く欲しいの本政府は約20億円での購入を所有者の栗原家さんに提示したいるそうです。


ただこの件について東京都の石原慎太郎は、

栗原さんは「政府とは合意していない」という事実を明らかにしました。

この仲介者とは誰でしょうか?

一説によると自民党の山東昭子前参院副議長ではないかといわれています。

山東氏側は5日の午前に、地権者の栗原さんから連絡を受けたとして

「地権者の栗原さんはいろんな形で迷っているが、国に決めたわけではないということ」

と語りました。


一体、尖閣諸島は誰がいくらで買うのでしょうか?

地権者の栗原さん側が判断できていないのでしょうね。

確かに国を左右する問題ですし、

膨大なお金が絡んでいます。

しかもあのイケイケ状態の中国のにらみも・・・。

最終的には尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島の3島の所有者で地権者の地権者の栗原さん本人の発表あるまでは正式には判断できませんね。

ところでこの尖閣諸島の所有者という地権者の栗原さんって痛い何者でしょうか?

はなしは1919年までさかのぼります。

ある冬の日のことです。

魚釣島近海で中国人が遭難しているのを尖閣諸島の前所有者である古賀さんというかたが発見して助け出し31名の中国人を無事本国に帰還させた出来事です。

このことに対しては中華民国の長崎領事が古賀さん感謝状を贈ったそうです。

うん。なんとも当たり前のことですが、

中国がするとすごくいいことをしているように錯覚します・・・。


その感謝状は石垣市に寄贈されいまでも保存されてます。

その感謝状の内容です。

中華民国八年冬福建省恵安縣漁民
郭合順等三十一人逸風過?難泊至
日本帝国沖那覇縣八重山郡宍閣列島
内和洋島承
日本帝国八重山郡石垣村雇五代勢
孫伴君熱心赦?使得生還園故國洵属
赦災恤郭仁不譲深堪坩威楓特贈斯
中華民国蘭長埼領率朗還
               
中華民国駐長崎領事馮冕  (印) 

中華民国九年五月二十日

というものですがよくわかりませんね。

ポイントとしては、中華民国長崎領事は、魚釣島のことを

「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島」

と表記し、救助した島民を

「日本帝国沖縄県八重山郡石垣村雇玉代勢孫伴君」

と書いてます

和洋島とは当時の魚釣島の日本名だそうです。

つまりこれは当時、中国政府は

尖閣諸島を日本の領土と認識してた事になりますよね。

これは日本の領有権主張の重要なな資料になります。


つぎに尖閣諸島の所有者と地権者の栗原さんと前所有者の古賀さんに意関係はどうでしょうか?

尖閣諸島が日本の領土に編入された明治28年に、

福岡県八女市出身の実業家古賀辰四郎さんから魚釣島、久場島、南小島、北小島の4島に対し国有地借用願が出されました。

常時、風速15メートル前後の強風が吹く絶海の孤島の尖閣諸島を、古賀辰四郎さんが4人目にして初めて、開拓に成功したそうです。

その功績から、翌年、明治政府は古賀辰四郎に対しこれら4島を30年間無償貸与することを決め、古賀さんにより島には延べ数百人の労働者が送り込まれ、桟橋、船着場、貯水場などが建設され、開拓が進められました。

当時、魚釣島と南小島で鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を設けたそうです。

現在もカツオ節工場跡が石垣の上に残っているそうです。

この当時の尖閣諸島ですが、一時は280名以上の人々が生活していたそうです。

1932年には、古賀辰四郎さんの長男の古賀善次さんから魚釣島、久場島、南小島、北小島の4島の払い下げが申請され、有料で払い下げられました。

その価格は15000円(2010年時点の金額で約2500万円)と言われてます

第二次世界大戦中の1940年代前半には事業中止にとなり島民の数は0になります。

1972年、古賀善次・花子夫妻には子供がいなかったため、栗原国起氏を実子の様に可愛がってた縁で南小島・北小島を埼玉県の実業家栗原国起さんに約4600万円で譲渡します。

1978年、古賀善次氏死去。妻花子さんが資産を継承し同年花子さんは魚釣島も栗原氏に譲渡します。

1988年、古賀花子さん死去。古賀家の資産は遺言により栗原国起氏に贈られることとなりました。

栗原さんは古賀家の遺産を使って、那覇市に財団法人古賀協会を設立します。

現在の尖閣諸島の所有者は、栗原国起さんで魚釣島、北小島、南小島、久場島の4島を所有してます。
なお大正島は財務省の所有になります。

栗原家は、さいたま市に17代続く大地主として市内に多くの不動産を持つてた大富豪でもあります。

また栗原国起さんは結婚式場[菱屋会館]を運営している実業家でもあります。

4島を所有する地主一族、栗原家の三男・栗原弘行さんは

「数十回島に上陸している」

「将来的に、中国政府に対しても、中国人個人に対しても、譲渡する意思は絶対にありません!」

と発表しています。


栗原家は約4600万円で古賀氏から譲り受けたと言われてますが、

栗原家の三男・栗原弘行さんは

「69年、すでに国連の調査で地下資源が確認されていますから、そのような(少ない)額ではありません。ただし、兄はお金儲けで島を譲り受けたのではありません。『島を自然のままで残して欲しい』『父たちが開拓した歴史を残してほしい』という善次氏の遺志を受け継ぎ、譲り受けた資産を財団法人古賀協会の設立と記念碑の建立に注ぎました」と語ってます。

4600万円では無かったようですね。

02年から国が賃貸借契約を結び、年間約2500万円の賃借料を栗原家に払っているとのことです。

これもすごい金額ですね。

また栗原家は固定資産税も石垣市に納めています。

バブル前には、魚釣島だけで約150億円、3島350億円で島を売ってくれというオファーが、石油系企業からあったそうです。

「仮に日本企業に売却したとしても、何かのきっかけで中国企業に転売されたら結局、中国政府の実効支配になってしまいます。そうなったら文句は言えないどころか、苦難の末に開拓し、日本の領土として世界に示した古賀辰四郎さんの歴史そのものまでもが消されてしまうことになると思うのです」と栗原家の三男・栗原弘行さんは語ってます。

尖閣諸島とその所有者である栗原家のはこのような壮大歴史があったのですね。

知りませんでした。

というかなんで急に尖閣諸島は中国の領土になってしまったのでしょうか?

ジャイアンなのでしょうか・・・。

以上、尖閣諸島 所有者 栗原家んついての報道記事でした。




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