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佐々木健介 生い立ち [芸能]



現在は本業のプロレスでも、

テレビでも大人気の佐々木健介さんですが

その生い立ちは壮絶なものだったようです。


佐々木健介さんは以前、

「父親に虐待されていて、近所の吉村のおじさんが生活面での面倒を見てくれていた」

とテレビで言っていました。


食事を準備してくれたり、

本当の息子みたいに接してくれて父親みたいな存在だったそうです。


ですが、父親はもう

「吉村のおじさんのとこには行くな」

と言って行かせなかったそうです。


その後吉村のおじさんの消息不明に・・・。


その後、健介さんのプロレスの試合で勝った直後

「父親が自殺した」

と連絡あったっそうです。


北斗晶さんと交際してたときは、

父親の自殺や自身の生い立ちを言えなくてずっと秘密にしていたそうな。


けど結婚をすると決めた時、

打ち明けたら親身になって受け止めてくれそうです。


そこで、

「一生一緒にいよう!」

と誓ったそうな。


感動の再会みたいな番組で健介さんが吉村のおじさんを探して貰ったのですが、

おじさんはすでに亡くなっていて、

息子さんがおじさんの遺影と一緒に登場しました。


健介がおじさんの遺影の前でチャンピオンベルトを抱きかかえて

声を上げて泣き崩れた姿はめちゃくちゃ印象的で号泣してしまいました。

毎晩のように暴力をふるう父

唯一の理解者だった吉村のおじさん。

佐々木健介の生い立ちは壮絶ですね。

幼き頃、数メートルも投げ飛ばされた

両手で抱え上げられ、叩きつけられた

顔を蹴り上げられた

背中を踏みにじられた

真冬に裸で外に出された

木に逆さ吊りにされた

包丁を持って追われた

熱湯をかけられた

頭をかち割られ血だらけになった…

佐々木健介もまた、そのように虐待された子供だったんです。

「おじさんがいるから、大丈夫!」

おじさんは笑顔で健介少年をかくまい、お父さんに取りなしてくれた。


しかし、

「おじさんの所には行くな!」

父親は禁止します。

我慢の限界を超え、耐えかねて行ったときには、

そこは更地だった。

少年は、恐らく絶望とともに自分が強くならなければと決意したのでしょう。


ケンカで憂さを晴らし、

父への憎しみを原動力にプロレスの道を目指す


やがて、母親が健介氏の元へ逃げてきた

追いかけてきた父親は健介氏に断られ、

「金を貸して」

と寂しく去る。


・・・間もなく父親は自殺。

「解放された」

れが、健介氏に湧いてきた思いだった。

その半年後に北斗晶さんと出逢い

嫌われると思い、黙っていた父のことをようやく話した時、

「私だったらぶつかっていく」

と言う晶さんの言葉を聞いて

「もう少し自分が開いていれば…」

と思う健介さん。


晶さんの言葉で、

恐怖の魔王が普通の人間であったことを再認識したのかもしれません。


「父親の分まで幸せになります」

と述べる結婚式での挨拶シーンが印象的だった。

晶さんに受け止めてもらった健介氏は、

父親を受け止めることができた。

そして、弱い人間と赦すことができたのだ。


残るは、「心の父」に会いたい。

会って、成長した自分を見てもらいたい―その、思いである。


愛を得られなかった僕が、

こうして愛情一杯の家庭を作っていますよ。

子どもたちも僕そっくりでしょう。

笑顔が一杯でしょう。


「これもすべて、

あなたが幼い頃の僕を笑顔で受け止めてくれたからです!

ありがとうございました!!」

なんとも壮絶な生い立ちをもつ佐々木健介さんです。

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